川柳
【川柳】想う月 祈る月
私の両親は昭和ひと桁生まれなので、私は幼少の頃から戦争の話を聴いていました。
父は学徒動員で愛媛県新居浜市の軍需工場に行き、母は中学校にも行けず、家の商売を手伝いながら兄弟の面倒をみていたと。
8月15日の正午、河原に集めるように言われ地域の人達と玉音放送を聴き、皆で泣いたと言っていました。
戦争は終わりましたが、その日からまた生き延びるための苦難が始まり、多くの苦労があったようです。
あの日から70年。たくさんの涙を忘れないように。
『ぬるい水ゆっくり八月の蛇口』
桂 晶月
川柳文学コロキュウム 2015年8月句会
自由吟 入選句
-川柳
-学徒動員, 戦争, 玉音放送, 軍需工場