アラ還の葛藤は10年後にはどうなっているんだろう
やっと朝晩が涼しくなり始めましたが、今年の夏の暑さは人生の中で一番堪えました。
2日間以上、エアコンをつけっぱなしってことは今までなかったのですが、外出して戻った時に暑いのはたまらないし、猫もきっと大変だろうと思って(猫は冷房が嫌いで他の部屋に移動しますが)電気代は気にせず(気にしないようにして)継続運転でどうにかこうにか、8月を乗り切った次第です。
相変わらず、体の裏側にかく汗の量はものすごくて、汗ジミが気になるので電車に乗ってもうかうか座っていられません。もう更年期は終わっていると思っているのですが、やはりホルモンバランスがどうにかなっているのでしょうね。
疲れやすい、眠い、気合がなかなか入らない、あれこれ面倒くさいと思うことが増えた、執着が無くなった、、と言ったり書いたりすると、もうネガティブな世界にハマっていきそうだし、受け止める方もしんどいだろうと思っていて、普段はあまり声にも文字にもしないようにしたいと思っていましたが、、いや、ブログだしいいか、というよりブログだからこそ書いておこうと考え直しました。
その年何してたん?
運勢鑑定の依頼を受けて調べることがあったんですね。自分で言うのも変なんですが、ものすごい勉強をしていた時期があって、その時に指導を受けていた先生とのやり取りノートを見ていたんです。そこに「晶子さんは2019年要注意ですよ~」って書いてあって、、でもすぐに「2019年ってどんな年だっけ?」と全く思い出せず愕然としました。
思い出せないってことは、それほど大変なことは起こってなかったか、起こっていても乗り越えたか・・・しかしそれすらも思い出せない。
例えば「25歳の頃ってどうだった?」って聞かれるとすぐ思い出せるのに。「42歳は?」これも思い出せます。
ある意味、大変って思わないことが続いているのなら幸せなことかもしれないけれど、いいことすら思い出せないって、、寂しすぎない?記憶力が低下していたり、心の揺れ幅が狭くなっているのかもしれないけれどそれはそれで寂しいです。ああ、もっと濃い時間を送りたいし、振り返りたい。
願わくば「2019年って4月にこんなことがあってね、それはもう大変だったんですよ。でも8月にはね・・・」なんて記憶を辿りたい。自己満足の何物でもないけれど。
そういえば毎日書いていた
今は無き「Yahooブログ」を2006年くらいから書いていて、その後gooブログへ。毎日書いてたんですよ。子育て真っ最中、起業もして、川柳の句会にも参加してて、、今よりははるかに忙しかったはずなのに、毎日! この頃は睡眠時間が3~4時間の毎日でした。そういえば。
ふうふう言いながら、でも楽しく書いていたその瞬間が今でも思い出されるのです。
何が今と違うんだろう。加齢もあるけれど「体裁」や「反応」 表向きが気になるようになったことがあるのかなと。思うことを書けばいいし、それは残しておきたい。もう「○○年のことは忘れた」にならないように。
カウントダウンの鐘が鳴る
ここ5年間で明らかに変わったことは「残りの意識」
仕事柄、運勢学上の自分のこれからは把握しています。しかし、これはあくまでも統計学上でどのような形になって現実化するかは人それぞれだし、運の耐性のようなものがあるので傾向はあるものの誰でも現実化するわけではありません。
あまりにも早く過ぎ去った50代 気が付けばアラ還 明らかに残り時間は短くなってきています。
心身の衰えを悲しいかな意識する時間は増えるでしょう。でも「そんなもん」と思うと楽になれそうです。
カウントダウンの時間だからこそ、刻み付けておきたいな。
だから書いておこう 残しておこう
毎日は無理かもしれないけど、できるだけ自分の時間を残しておきたいと思います。
自己満足ですよね。アラ還おばちゃんの発信にお付き合いくださるのは少々申し訳ないような気がしますが・・よろしくお願いします。