人生は塞翁が馬 ~運勢統計学と意識との関係~
〔「塞翁」は、昔、中国北方の国境近くに住んでいた老人の意。その持ち馬がある日居なくなったかと思うと、しばらくして駿馬シユンメを連れ帰った。むすこは馬に乗ってけがをしたので結局戦争に行かないで済んだ。近所の人たちは、そのたびごとに塞翁に同情の意を表したり 喜びの言葉を述べたり したが、老人は一向取りあわず、「福必ずしも福ならず、禍必ずしも禍ならず」と答えた故事に基づく〕 何がしあわせになり、何が不幸になるか、前もって知ることが出来ないことのたとえ。 新明解国語辞典より
運勢鑑定をしていて実感するのは「塞翁が馬」
え、運勢鑑定なんだからこの先がわかるでしょ と思われるかもしれせんが、わかることがすべて起こるわけではないのです。
例えば、鑑定で「現在の運勢が大幅に下降していて、これは相当大変なのでは」と思うくらいの結果が出たとします。
しかし、それほどご本人が苦しんでいない場合があります。一方、鑑定結果以上の苦しい時間になってしまう場合もあります。
でも、運勢統計学では「苦しい時間」には変わりないのです。
この違いは何なのでしょうか。
これは自分が仕事をしてきての感覚的なことですが、その方の「意識」のような気がしています。
誰にでも運勢鑑定上、吉運と凶運(四柱推命では喜神 忌神と言います)があります。ある程度生きていると、もうその両方の運気を経験しています。
今、ここに居るということは凶運であってもどうにか乗り越えています。
凶に慣れるというと語弊があるかもしれませんが、凶を意識して運に対して強くなるようなイメージです。
「今はしんどい、でもできることがある」と考えること、そして動くことを繰り返しているうちに凶はその人にとって本当の凶でなくなっていくのです。
反対に凶に対してフリーズして人のせいにしたり自暴自棄になったりすると、どんどん凶が強くなっていきます。
最近の鑑定で、身を切るような決断をされた方がいらっしゃいました。
不安感の改善を考える際に運勢鑑定をひとつの手段とされましたが、鑑定結果は厳しいものだったのでその対策をお伝えしました。
その方は将来の資金についての分析を専門家に依頼されており、その結果と今回の運勢鑑定の結果から苦渋の選択をされました。
今の状態をゼロにして再スタートを切ることで、きっと新しい時間は鑑定上の凶作用が軽減されていき吉意が入ってくるでしょう。
運勢鑑定で出てきた結果を知っているからこその「意識」そして、その先の「行動」で吉凶は変わっていく可能性が大いにあります。